ペルシャと日本との関係と歴史

まず国でいうとペルシャとは現在のイランを指します。

元々はペルシャ人が建設したペルシャ帝国が由来で、そのためペルシャ絨毯などの芸術品やペルシャ湾など地理的、歴史的なものには「ペルシャ」という名が残っています。


ペルシャ文化と日本との出会い

今から約1200年以上前の奈良時代、ペルシャ文化が遠い日本に運ばれてきたのはシルクロードと遣唐使が背景にあります。

シルクロードとはドイツの地理学者により用いられた言葉で、中国の絹がローマに運ばれたことに由来します。太古より約12000キロもの距離をラクダなどにより運んだシルクロードは東西の文化・物資の交流に大きな影響を与えました。


中国・唐の時代の国際都市であった長安にはシルクロードを通して各国の文化財や集まり、その中でもペルシャ文化が愛用され流行したと言われています。

分かりやすい例ですと、胡椒(コショウ)や胡桃(クルミ)などはペルシャ(イラン)よりもたらされた物で、「胡」という字は当時漢民族がペルシャ人を指したものでした。


このようにペルシャ文化は、シルクロードから奈良時代以降に唐を経て、遣唐使により日本に伝えられました


当時のペルシャの文化財はどこにあるのか?

奈良の正倉院宝物にはササン朝ペルシャ時代の物とされる工芸品のガラス碗やガラス器、日本に残る最古の敷物などが貯蔵されています。

その他で有名なものでは、江戸時代以降、京都・祇園祭の山鉾の装飾品として用いられているペルシャ絨毯。京都・高台寺に伝わる豊臣秀吉の陣羽織がペルシャ産のキリムなどがあります。

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