ニコライ皇帝肖像図ペルシャ絨毯
意匠名 : 肖像図 (タスヴィーリー)
生産地 : イラン・カーシャーン
製作年代 : 1910年代
サイズ : 90×74cm
パイル素材 : 羊毛
織り密度 (結び・横×縦/cm) : 8×8
ダラ・コレクション 蔵
ロシア最後の皇帝ニコライ2世の家族肖像図ペルシャ絨毯である。
フィールド全面に、ロシア皇帝ニコライ2世(1868-1918)とアレキサンドラ皇后、アレクセイ皇太子の肖像が織り上げられている。カーシャーン産の絨毯で、おそらく肖像画か何かを参考に織られたものであろう。当時ロシアの要人も数多くイランに駐在していただろうから、その依頼であったのかも知れない。
皇帝は、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ、ロマノフ王朝14代にして、最後のロシア皇帝である。皇后はヘッセン大公国の大公女アレクサンドラ・フョードロヴナ、通称アリックスで、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世やイギリス国王ジョージ5世は従兄にあたる。ニコライ2世は、日露戦争、第一次世界大戦で指導的役割を果たしたが、ロシア革命により、帝国の崩壊後、1918年に一家全員が銃殺された。
日本においても、かつて大きな話題を提供した人物で、大津(湖南)事件のロシア皇太子が彼のことである。
1891年、ウィーン、ギリシア、エジプト、インド、スリランカ、シンガポール、バンコク、香港、上海、広東を歴訪し、最後に日本を訪れた。ロシア軍艦で長崎に寄港、鹿児島を経て瀬戸内海から神戸に停泊し、京都、大津に立ち寄り、その帰途、津田三蔵巡査にサーベルで斬りかかられ負傷した。動機は不明で、この事件によるニコライ皇太子の日本への怨嗟もなかったとされている。ソ連からロシアへと移行した現代になって、ニコライ2世の評価も異なったものとなっているようである。
このペルシャ絨毯はフィールドをキャンヴァスに、ボーダーを額縁に見立てたように織られている。
かなり写実的な表現で、服のシワも濃淡の色糸で表現されている。メインボーダーも、モティーフはイラン伝統の花文だが、額縁の彫物細工のような意匠に仕上げてある。ボーダーを取り囲むガードはマダーヘルmadakhelの相反ボーダーが用いられている。ボーダー上部のカルトゥーシュに、アラーハズラト・ニーコラーイー・エンペラートゥーレ・ルース A‛la-hazrat Nikola‛i Emperatur-e Rus Alexei ルースとはロシアのこと、「ロシア皇帝ニコライ陛下」とタイトルが織り込まれてある。
解説文
河崎憲一