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中央アジア・西アジアで織り始められた絨毯が西欧世界に伝わったのは、イスラーム世界を通じてのことでした。ひとつは北アフリカへと勢力を伸ばしたイスラームのスペインへの上陸から、もうひとつは聖地奪還のためキリスト教徒が派遣した十字軍の遠征からといわれています。

ここで、世界で2番目に古いかもしれないという絨毯のお話をします。ウマイヤ朝やアッバース朝、ファーティマ朝などいわゆるサラセン帝国の中心地であったエジプトのフスタート(カイロ)で発見された絨毯断片の中に遊牧民のライオン絨毯のような1枚が含まれていました。素材はすべてウールで、中央部を復元すれば約115×89cm、同位炭素測定で7~9世紀のものと判明。現在はサンフランシスコの美術館に収蔵されている謎の一枚です。同じくフスタートで発見された他の断片のグループは、リネンが素材になり1本のたて糸に1回半パイル糸を巻きつけるスペイン結びで織られたもので、コプト裂の延長とも考えられますが、スペイン絨毯の先駆とする見解もあります。

ヨーロッパ製の最も古い手織り絨毯は、13世紀初頭のものが、かつての東ドイツの修道院に例外的に遺されています。これは5世紀のマルティアヌス・カペラの著作「マーキュリーとフィロロジイの結婚」の図を織り込んだ絨毯の断片で、アッベス・アグネスという修道院長が尼僧たちと協力して製作したものと伝えられ、本来約6×7mの大きさだったそうです。この絨毯にオリエント風なところは見当たらず、スペインで織られたものではありませんが、スペイン結びでつくられています。

もうひとつヨーロッパにおける絨毯で注目すべきことは、14~18世紀のヨーロッパ絵画に描かれている絨毯です。これらのほとんどはトルコ絨毯で、その文様デザインは画家の名を冠して、ホルバイン絨毯、メムリンク絨毯、ロットー絨毯などと呼び親しまれてきました。

1.スペインの絨毯

ヨーロッパに最も早くイスラームの波が押し寄せたのはスペインでした。711年にアフリカ北部のイスラーム勢力はジブラルタル海峡を越え、西ゴート王国を滅ぼし、その後コルドバを都として11世紀まで後ウマイヤ朝が栄えます。10世紀の初め、その離宮には絨毯の敷かれていたことが記録されています。1254年、スペイン、カスティーリャの王女エレオノールと英国のエドワード1世との婚礼には、スペインの風習に従い、ウェストミンスターの城周辺にコルドバやグラナダからもたらされたスペイン絨毯が数多く敷かれたと伝えられています。スペインにおけるイスラームの影響は15世紀頃まで続きます。現存するスペイン絨毯の最古のものは14世紀後半のシナゴーグ絨毯で、ヘブライ語の文字文が入り、ユダヤ教会の儀式に用いられたといわれるものです。またフィラデルフィア美術館に収蔵されている15世紀のアドミラル(提督)絨毯も有名です。いずれもスペイン結びで織られた絨毯です。

2.フランスの絨毯

1254年、ルイ9世の頃、十字軍の戦利品としてオリエントの絨毯がフランスにもたらされました。当時これらはサラセン(イスラーム)起源であることから、サラシノア絨毯と呼ばれていました。フランスでは絨毯もさることながらタペストリーづくりの伝統があり、パリやアラスを中心に14世紀から16世紀にかけ大いに発達します。1601年、アンリ4世はパリの染物師ゴブラン家の館にタペストリーの工房を設立します。いわゆるゴブラン織りの始まりです。また1604年にはピエール・デュポンを登用してルーヴルにトルコ様式の絨毯の王立工房を設立、その後ルイ13世は、1626年にその弟子のシモン・ルールデを起用してパリの西シャイヨーにも絨毯工房を設置、石鹸工場の跡地であったことからサヴォヌリーと呼ばれます。この当時つくられた黒地に多彩色の花柄絨毯はルイ13世絨毯として知られています。続く太陽王ルイ14世は、1665年、ゴブラン王立工場・王立美術館長であったシャルル・ルブランのデザインによるルーヴル宮殿のための絨毯づくりを命じます。しかし1682年にはパリの南西約20kmに新しいヴェルサイユ宮殿が完成、国王の関心はルーヴルからヴェルサイユに移ります。ルブランの絨毯意匠は典雅な装飾様式で、天井装飾と同一のものがしばしば使われていました。またサヴォヌリーが王室の絨毯をつくっていたのに対し、フランス中央部南にあるタペストリー産地のオービュソンでも綴れ織り技法の平織り絨毯が1665年頃から一般向けにつくられており、この2つがフランスを代表する絨毯の代名詞ともなっていました。

西欧の絨毯づくりに影響を与えた歴史的事件にナントの勅令があります。アンリ4世が1596年に発した新教徒を保護するナントの勅令は、1685年ルイ14世によって廃止されます。このためフランスのユグノー(フランスのカルヴァン派新教徒)たちが国外に亡命することとなり、ドイツ、ベルギー、イギリスに絨毯づくりが広がります。そして1801年には、リヨンのヤコブ・マリー・ジャカードがカード装置を開発しています。これが後にジャカード機の名で絨毯の色糸を選ぶ装置として織り機に取り付けられ活躍することとなります

3.イギリスの絨毯

前述した13世紀中葉のエドワード1世の結婚でもたらされたスペイン絨毯に続き記録に残っているのは、1520年にヴェネチアの要人を介して英国のウォルシー枢機卿のもとにハンプトンコートのための60枚ほどのダマスカス絨毯(トルコ絨毯のこと)がもたらされたことです。現在残っている古い絨毯としては、1570年につくられた紋章入りのヴェルラム絨毯が有名で、1570. の年号とE.R.(Elizabeth Regina)のイニシャルが入り、エリザベス女王のためにつくられたといわれています。1600年には東インド会社が設立され、オリエントの絨毯も多数持ち込まれ、国内生産にも力が入れられます。1655年にはウィルトンに絨毯工場ができ、続いてキダミンスターでも絨毯づくりが盛んになります。キダミンスターでは1735年にパイルのない両面使用の絨毯が織り始められます。この平織りのキダミンスター・カーペットは、後にスコットランドでスコッチ、アメリカでイングレイン・カーペットと呼ばれるようになります。ブルームはベルギーのトワナイから織工をキダミンスターに連れて帰り、1749年、最初のブラッセル織りを生み出します。同じ頃ウィルトンではサヴォヌリーから招いた織工が、このブラッセル織りのループをカットし、ウィルトン・カーペットを創始しました。1750年にはパディントン(後にフルハムに移る)にフランスのロレーヌから亡命してきた修道士ピエール・パリゾが、サヴォヌリーの織人を引き連れ工房を設立しています。1755年にトーマス・ウィッティーによりアクスミンスターにもトルコ結びによる手織り絨毯の工場が設立され、1835年まで稼動します。このアクスミンスターの手織り絨毯は、当時から最も上質の絨毯の代名詞となり、アクスミンスターの名はその後絨毯の種別名として受け継がれていきます。1755年には、また、ウィッティーのライヴァルとなるトーマス・ムーアがムーアフィールドに工房を開設しています。ムーアは高名な建築家のロバート・アダムと協力しあい、デザイン開発を行いました。18世紀後半には手織り絨毯は最盛期を迎え、ウィッティーの絨毯がトルコのスルタンに1,000ポンドの価額で納入されるなど、本場にも劣らない絨毯づくりが行われていたようです。紡績織機や蒸気機関の発明など19世紀初めの産業革命を契機に、やがて手織りの絨毯は減少し、機械織りの時代へと移行していきます。1831年エジンバラでパイル糸を捺染してタペストリー・カーペットに織り込む手法が開発され、機械織りでも多色使用が可能になっていきます。1839年にはグラスゴーでシェニール・アクスミンスター・カーペットが開発されます。別名グラスゴー織りともシェニール織りとも呼ばれ、ジェイムズ・テンプルトンがこの絨毯の特許を取ったため、パテント・アクスミンスターとも呼ばれました。フランス語で毛虫を指すシェニールとはモールのようなもので、この手法が材料の節減につながり、安価に多彩で大きな絨毯の製作が可能となりました。1890年には、アメリカで開発されたスプール・アクスミンスターをベースにグリッパー・アキスミンスターが開発されます。当時のカーペットづくりの中心はキダミンスターで、やがて訪れる動力化の波にも乗り、英国のカーペット基地としての役割を果たしていました。

4.アメリカの絨毯

新天地アメリカでは、絨毯はもっぱら母国イギリスからもたらされていました。1776年の独立宣言から15年を経た1791年に初めて、アクスミンスター絨毯の工場がフィラデルフィアに誕生します。また1828年にはスコットランドから織機を持ち込み、マサチュセッツ州のメドウェイで平織りのイングレイン・カーペットの生産が始まります。アメリカの絨毯が本領を発揮するのは、動力をフルに稼動できるようになってからのことです。1839年、E.P.ビゲロウが初めて蒸気動力をイングレイン織機に応用し、絨毯づくりの動力化の道を切り拓きました。1849年にはジャカード機に、その後ブラッセル機を改良しウィルトン機にも動力は導入されていきます。また1878年にスプール・アクスミンスターが開発され、早ばやと本場英国に紹介、導入されています。織りカーペットのみならず、1900年には繊維の縮合による組織を応用したニードル・パンチ・カーペットが開発されます。そして1930年代に入ると動力に電力が使用されるようになります。1940-1950年、第二次世界大戦の戦中・戦後にかけて、やがて機械織り絨毯のほとんどを占めることとなるタフテッド・カーペットの生産が開始されます。また戦後はカーペットの素材にナイロン、ポリエステル、ポリプロピレン(オレフィン)などの化学繊維が使用され始め、素材やその加工方法、テクスチャーの開発にも力が注がれるようになっていきます。このように機械化、合理化が進展していく一方、アメリカに限らず、世界はますます生活の多様化と個性化が進み、自然回帰や手づくりへの憧れ、エコロジカル志向などを背景に、自然素材の絨毯や昔ながらの製法、懐かしい味わい、さらなるアートを求めるトレンドもこれからの絨毯の見逃せない大きな潮流となっています。

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欧米の絨毯――手織りから機械織りへ

第3章
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